連帯保証(6)

 

 前日までと全く逆の判決もあります。

 

 

 タケダは、昭和40年4月に洋家具の製造販売等を目的として設立されたが、タケダの前身であった北日本工業株式会社(以下「北日本工業」という。)が倒産したため、原告は、当初は実質的な経営者として、昭和50年ころからは名実ともに代表取締役としてタケダの経営を行っていた。

 

 

 

 吉沢は、藤丸デパートに勤務し、取締役なども勤めたが、戦後間もなく右デパートに製品を納入していた原告と知り合い、以後、原告の仲人となるなど、原告と親しく交わっていた。

 

 

 タケダの決算書類等には、吉沢がタケダの株主である旨の記載があるが、吉沢がタケダのために出資したことはなかった。

 

 また、吉沢は、タケダの取締役として登記されているが、タケダの経営に関与したことはなく、取締役としての報酬を受け取ったこともなかった。

 

 

 ただ、タケダの資金繰りが苦しいとき、原告の求めに応じ、しばしば資金を融通し、また、帯広信金に対し、タケダの連帯保証人となっていた。