自筆証書遺言について遺言能力が否定された事例(10)

 Yの日記が証拠として提出されていまして、本日はそれを概観します。

 

 

 Yは、少なくとも平成10年ころから平成12年9月までの間、毎日日記を付けていた。同日記中には、平成12年7月から8月にかけて、概ね以下のような記載がある。

 

 

 7月8日 花子お姉さんだんだんわがままになり、夕食後ばくはつし薬を袋から出してちらばしたので2

      階に私は行き一人にしたが、大声でY子Y子とよび出すので、一応後かたづけする。

 

 

 7月11日 P氏姉を入浴させて5時には帰られた、花子お姉さん大喜びであったが皆様帰られてから6

      PM頃お通じをしてしまひ着ていたものまでよごしてしまひ私は少々頭にきてしまった。食事

      は朝の食事を4PM頃頂き終り、人がお話し相手になるのを大変喜び元気になるが帰られると

      又もとにもどってしまう。

 

 7月15日 3PM頃弁護士のX3先生来られ大体の遺言書を見本として書き姉に自分で買いてもらいなさい

      と言っていたが、仲々それどころではない様なり。本人、X3先生とのやりとりをじっと耳をす

      まして聞いていた様なり。夕食も半分位しか手をつけず。

 

 

 7月30日 朝下階へおりて来たらお姉さんお風呂場に足を向けてあおむけにたおれていたので驚いてしま

      う。

 

 

 8月1日 朝花子お姉さんの様子が脇腹が痛くおくすりも余り取れず只寝てばかりいる。M氏が来て下さ

      り姉の様子を見て河北病院Tel。診療を見て頂いた方が良いと言われ、Telしたが荒木先生は休

      暇して居られしんけい科の清水先生に見て頂き余り痴ほうがひどいので他の病院へ入院を希望

      されたので清和のお話したらすぐそこにしょうかい状を書きませうと言われ帰って来てから清

      和のケアマネージャーの田口氏にTelしたらお話がとんとん進んで4日(金)10AMに病院に私

      とR君に一緒にと言われたがR君は(中略)姉にTelし決める。花子お姉さんはりょうしょう

      した様なので話しをすすめ(中略)一応田口氏にも話しておく。

 

 

 8月4日 今日は清和病院の田口氏にお会ひする。10AMより2PM頃までお話し一応おことわりして来

      る。しかし又具合が悪くなったらいつでもと言って居られた。(中略)今日は夕食後姉がとだ

      なを開けて中の物に向かって尿をかけているので驚いてしまひどうしてこんな事をするのか悲

      しく思はれた。後しまつをしている時も只ボーとして下の方を向いていた。

 

 

 8月5日 本日X3先生お一人で2PM頃来られ、昨日大和銀行で言われた事が気にかかり、Yさんとのつ

      ながりは切って甲野花子先生一本の弁護士になると言はれたので少々おどろいてしまった。銀

      行の通帳及印カン(5本)実印他5本を返して通帳と一緒にと、又今までの通帳の明細及郵便

      局の明細を持ってきて下さいと言っておく。如何なることかなと思うが、神様にお祈りする。

 

 

 8月16日 仲々本人入院をなっとくしないようなり。

 

 

 8月20日 花子お姉さん朝からずーっと眠りつづけ、夕方になって(10PM)頃になってやっと起き出

      し、少々夕食(中略)等を食べて、又とういすにこしかけ仲々ベッドに行かず、これから先ど

      うなることか心配なり。姉も病院に行くことが心配の様なり。

 

 

 8月21日 午後、丙田先生よりTelあり。X3べんごしより全然返事がないので姉の新しい遺ごん状を作っ

      ておいた方が良いのではないかとのことで、河北病院のかえり4PMまでに事務所へ伺うことに

      する。

 

 

 8月22日 河北病院へ最後の診察とごあいさつお礼をして、大急ぎ丙田べんごしの所へ姉と行く。丙田先

      生の事務所で遺言書を作った。河北病院姉診察2時30分の診察なり。