自筆証書遺言について遺言能力が否定された事例(9)

 先週に引き続き、平成12年7月から同年8月25日までの事実経過についは以下の通りです。

 

 

ア 亡花子は、河北総合病院に入院中、リハビリを受けたが、独居生活ができるまで回復せず、7月7日の

  退院後、Yの自宅でYと同居するようになった。

 

  亡花子は、8月25日に小山病院に再び入院するまで、7月18日、25日、8月1日、22日に河北総合病

  院内科外来を受診したが、8月1日のカルテには、最近昼夜が逆転している、裸になってしまう、転倒

  することもある、自宅での介護が困難で入院を希望している旨の記載がある。

 

  また、Yは、8月4日、新所沢清和病院に行き、亡花子の入院を相談した。相談内容は、亡花子は、7

  月7日退院したが、精神的に不安定であり、ホームヘルパーもほぼ毎日利用して対応しているが、介護

  も限界である、亡花子のADLも徐々に低下し、介護度も1から3となり、排泄コントロールが困難とな

  り、着脱衣行為や見当識障害も現れている、しかし、本人が強く入院を拒否しているというものであっ

  た。

 

 

イ Yは、亡花子が退院する前日の7月6日、徳島で弁護士活動を行っていたX3に対し、電話で、亡花子の

  病状を説明し、亡花子の遺産のことで相談したいと話した。

 

  X3は、7月13日、上記依頼を受けて被告Yの自宅を訪れ、本件公正証書遺言目録に記載してあった預金

  通帳等をYから提示を受け、1つ1つ確認した。

 

 

ウ X3は、7月15日、再度Yの自宅を訪れた。Yは、亡花子の預金通帳や、その他関係書類を茶封筒に入れ

  て保管していたが、X3は、同封筒の提示を受けて内容物を確認した後、預金通帳を除く関係書類を預か

  り持ち帰った。

 

  また、この時、Yは、X3に対し、X3から亡花子に、亡花子の遺産すべてをYがもらえるような遺言書

  に作り直すように口添えして欲しいと頼んだ。

 

  X3は、X3自身が亡花子に口添えすることは断ったが、Yに、

 

  <1>被告Yに全財産を贈与する、

 

  <2>喪主を被告Yにする、

 

  <3>遺言執行者をX3とするという内容のメモを書いて渡し、Y自身で亡花子に遺言書を書いてもらう

     ようにアドバイスした。

 

 

 エ X3は、7月20日ころ、乙山弁護士に対し、亡花子が河北総合病院から退院したが、まだら痴呆のよう

   な症状であること、Yが遺産を全部もらえるよう遺言書を書き直してもらいたがっていることを伝

   え、7月28日にY宅を訪問するので一緒に行って欲しいと頼んだ。

 

 オ Yは、そのころ、亡花子の金庫を、亡花子のマンションから被告Yの自宅へ運び込んだ。

 

 カ X3及び乙山弁護士は、7月28日、Yの自宅を訪れた。

 

 

  <1> 両弁護士は、遺産の内容を確認するため、亡花子の金庫を開けようとした。金庫の鍵には、数

      字を書いた紙片が付いていたが、亡花子も、Yも、金庫のダイヤル番号が何番なのか、上記紙

      片記載の数字なのか否かについて答えることができず、結局、業者を呼んで金庫を開錠させ

      た。

 

 

      X3及び乙山弁護士は、預金通帳や印鑑等を1つずつ確認し、預り証を作成して亡花子に交付す

      ると(ただし、下記<2>の本件定額貯金証書を除く)、預金通帳及び印鑑を預かり持ち帰っ

      た。X3は、上記預金等について、いずれ解約し、本件公正証書遺言でYが遺贈を受ける2000

      万円については、Y預り金口弁護士X3名義の口座を、その他の金員については甲野花子預り金

      口弁護士X3名義の口座をそれぞれ開設して保管することにし、被告Yに対し、委任状及び印鑑

      証明を5通ずつ用意するよう指示した。

 

 

  <2> X3は、遺言執行者としての事務の遂行や、亡花子を被後見人とする成年後見人選任申立てなど

      の事務処理に費用がかかることから、相続人に迷惑をかけないよう、亡花子の生前に、亡花子

      から実費その他の費用及び報酬を受領しておくべきであると考えた。

 

      そこで、X3は、亡花子に対し、弁護士費用として、額面の合計金額が1000万円以上である定

      額貯金証書10通(本件定額貯金証書)を受領すること、同貯金を解約して正確な金額が判明し

      た後に領収書を交付することを説明し、本件定額貯金証書を持ち帰った。

 

 

  <3> 乙山弁護士は、X3から、亡花子の病状及び亡花子にまだら痴呆の症状があることを聞かされて

      いたことから、亡花子の精神状態については後で確認することとして、とりあえず、Yが作成

      を希望する内容の遺言を作成することを提案し、X3もこれに同意した。

 

      そこで、乙山弁護士は、亡花子に、成年後見人選任申立てをするための家庭裁判所用の委任状

      用紙に名前を書かせ、亡花子が名前を書けることを確認すると、遺産を全部Yにあげるという

      内容の簡単な遺言の下書きを作成し、亡花子に、「字の練習である」と説明して、同下書きを

      書き写させた(本件遺言書面)。

 

      その際、乙山弁護士は、書面の作成日を、亡花子が退院した日である7月7日に遡らせた。乙

      山弁護士は、本件遺言書面に、亡花子の実印を押捺し、封筒に入れて封印し、自筆証書遺言と

      しての形式を整えた。

 

      乙山弁護士は、亡花子が本件遺言書面を作成する様子を観察しても、亡花子に遺言能力がある

      との確信が持てなかったため、X3に対し、亡花子の意思を確認できるまで、本件遺言書をX3

      のもとで保管した方がいいと勧め、X3もこれを了解した。

 

 

 キ X3は、7月31日、本件定額貯金証書を解約するため、本件定額貯金証書と亡花子の実印を持って本件

   郵便局を訪れた。X3は、亡花子の委任状も印鑑証明も所持していなかったため、応対した郵便局員に

   対し、咄嗟の判断で亡花子の娘であると名乗ってしまったが、郵便局員もこれに応じてしまい、同貯

   金を解約し、小切手10通(額面合計2209万1963円)の払い戻しを受けた。その後、X3は、これを自

   分名義の銀行口座に振り込んだ。

 

 

 ク Yは、前記のとおり、8月1日、亡花子の具合がよくなかったため、河北総合病院を訪れた。亡花子

   を診察した医師は、痴呆症状があるので他の病院への入院を勧めたため、Yは、亡花子を新所沢清和

   病院へ入院させることを検討するようになった。

 

 

 ケ YとX3は、8月3日、第一勧業銀行××支店を訪れ、Y預り金口弁護士X3名義の口座と甲野花子預り

   金口弁護士X3名義の口座を開設した。

 

   亡花子は、被告Yに遺贈する2000万円について、他の預金と区別して、大和銀行の預金口座で保管

   し、被告Yが同口座の通帳と印鑑を所持していた。X3は、これを解約してY預り金口弁護士X3名義

   の口座に移し替えようとしたが、大和銀行に同行したYがこれを拒否したため、同口座を解約するこ

   とはできなかった。

 

 

   X3は、Yが、亡花子の遺言を書き換えさせたがっていることや、弁護士の預り金口座に預金を振り替

   えることを拒否していること、Y自身、亡花子が完全に呆ければ、亡花子の財産はYの自由になる旨

   を話していたことなどから、Yが亡花子の遺産を狙っているのではないかと考えるようになった。

 

 

 コ 同日(8月3日)、X3は、乙山弁護士に対し、Yが亡花子の遺産を狙っているようだと話し、亡花子

   の財産管理のため、乙山弁護士の方から、亡花子について成年後見人選任の申立をするよう依頼し、

   同申立費用として、本件定額貯金証書を解約して得た弁護士費用2200万円余の中から100万円を支払

   った。そこで、乙山弁護士は、7月28日に亡花子に署名してもらっていた委任状を利用して、家庭裁

   判所に対し、成年後見人選任申立手続をとることにした。

 

   X3は、東京の自宅において、保管していた本件遺言書面を破った。

 

 

 サ X3は、8月5日、Yの自宅を訪れた。X3は、亡花子の前で、本件定額貯金証書を解約したところ、

   2200万円余となったこと、これを弁護士費用として領収したことを説明し、領収書を渡した。

 

   X3は、亡花子及びYに、本件遺言書面を破棄したことを告げた。

 

   X3は、Yに対し、これからはYからの依頼を引き受けず、亡花子を依頼者とする弁護士になると言明

   した。これに驚いたYは、X3に対し、X3が預かった亡花子の預金通帳や印鑑等の返還と、預貯金の

   明細を交付するように要求した。

 

   なお、このころ、亡花子は、戸棚を開けて中の物にむかって尿をかけるなどの行動があった。

 

 

 シ X1は、8月7日ころ、Yの自宅を訪れ、亡花子を見舞った。Yは、X1に対し、X3が亡花子名義の通

   帳や印鑑を持っていってしまった旨訴えたが、X1は、弁護士が他人名義の通帳を勝手に持ち出すこと

   などできないと考えていたことから、Yの発言がよく理解できず、いよいよとなったら幾らでも手伝

   う用意がある旨告げて帰った。

 

 

 ス X1、X2、亡花子の義理の娘であるKは、8月12日、Yの自宅に集まり、介護支援専門員であるMを

   交えて、Yと、今後亡花子の介護をどうするかについて話し合った。

 

  1回目の入院以後、亡花子(要介護3)の介護はYが行っていたが、Y自身が高齢で要介護1の認定を

  受けていたことから、Y宅で亡花子の介護を行うことは困難であり、他方、X1は自身が糖尿病の治療を

  受けており、X2は、結婚して静岡に居住していたことから、両者が亡花子を引き取ることも困難であっ

  たため、結局、亡花子を病院に入院させ、月に数回、Y宅に外泊させるという方向で話し合いが進ん

  だ。

 

 

 セ Yは、前記のとおり、X3に対し、本件定額貯金証書等の返還等を要求したが、X3がこれに応じる姿

   勢を見せなかったことから、他の弁護士に相談しようと考えた。Yは、取引銀行である大和銀行△△

   支店の担当者の紹介を受けて、8月14日、亡花子とともに、大和銀総合研究所を訪れ、同研究所顧問

   弁護士である丙田弁護士及び南雲隆之弁護士(Yの訴訟代理人弁護士。以下「南雲弁護士」という。

   )と会った。

 

   Y及び亡花子から事情を聴取した丙田弁護士らは、X3に対し、本件定額貯金証書等の返還等を請求す

   ること及びそのために内容証明郵便を出すことにし、亡花子に、亡花子を委任者とする委任状を作成

   させた。

 

   同委任状の委任事項の記載は、亡花子の自筆であるが、これは、丙田弁護士が別の紙に見本を書き、

   それを亡花子に書き写させる方法で記載されたものである。

 

   また、丙田弁護士は、X3を刑事告訴することも考え、亡花子を委任者とする白紙委任状5通に亡花子

   の署名押印を求めた。

 

 

 ソ 乙山弁護士は、8月17日、東京家庭裁判所に対し、亡花子について、申立人を亡花子本人、代理人を

   同弁護士として、成年後見人選任の申立をした。しかし、同裁判所から、成年後見人を必要としてい

   る当人が申立人となるのは意思能力の点から問題があるのではないかとの指摘を受けたため、同月20

   日、これを取り下げた。

 

 

   乙山弁護士は、X3に上記の経緯を報告し、亡花子の親族を知らないかと尋ね、亡花子のマンションの

   賃貸借契約の保証人に亡花子の息子のX1がなっていることを知った。

 

   そこで、8月24日、X3と乙山弁護士は、X1と連絡をとった。

 

 

 タ 丙田弁護士は、8月21日、Yに対し、電話で、X3から、内容証明郵便の回答がこないので、亡花子の

   新しい遺言書を作成してはどうかと勧めた。

 

 

 チ Yは、8月22日、亡花子を河北総合病院に連れて行き、診察を受けさせた後、午後4時ころ、亡花子

   を同伴して丙田弁護士の事務所を訪れた。丙田弁護士は、京橋にある公証人役場において、亡花子に

   公正証書遺言を作成させようとしたが、亡花子は、疲れているとして公証人役場に行くのを嫌がった

   ため、同事務所において、本件自筆証書遺言を作成することにした。

 

   丙田弁護士は、全財産を被告Yに遺贈する、Yを遺言執行者に指定するという内容の簡単な遺言の下

   書きを作成し、亡花子にそれを書き写させた。亡花子(大正3年5月12日生まれ)は、本件自筆証書

   遺言当時、86歳であった。

 

   Y及び亡花子は、午後6時ころ、同事務所を後にした。

 

 

 ツ 亡花子は、8月25日の早朝、吐血して倒れているところをYに発見され、小山病院に救急搬送さ

   れ、そのまま入院した。

 

 

 テ X1は、9月21日、亡花子の後見開始を申し立て、東京家庭裁判所は、11月25日付けの鑑定書(亡

   花子は昏睡状態で、回復可能性は極めて低いとの内容)をもとに、11月28日、X3を後見人として、

   後見開始の審判をした。