自筆証書遺言について遺言能力が否定された事例(1)

 自筆証書遺言について遺言能力が否定された事例について、

 

 今日は登場人物について概観します。

 

 

 

ア 亡花子について

  

  亡花子は、大正3年5月12日に東京で父D、母Eの長女として生まれた。母Eが大正9年に死亡し、父

  DがFと再婚し、5人の子を儲けた。被告Y(昭和2年7月22日生まれ)は、その一人であり、亡花子

  にとって被告Yは異母妹にあたる。

 

  亡花子は、昭和7年、Gと婚姻し、原告X1及び原告X2を儲けたが、昭和12年、Gと離婚した。

 

  亡花子は、離婚後、看護婦及び助産婦の免許を取得し、戦時中は助産婦として働き、戦後は厚生省に勤

  務し、昭和34年、H(前妻Iとの間に、J及びKの2人の子供がいる。)と再婚し、東京都世田谷区梅

  丘の自宅で生活していた。

 

  亡花子は、昭和48年に厚生省を課長補佐で退官後、昭和61年から平成4年6月まで社団法人日本助産婦

  会(以下「助産婦会」という。)の会長を務めた。

 

 

  昭和63年、夫Hが死亡したが、亡花子とHとの間には子供はいなかった。

 

 

  亡花子は、平成5年5月ころから、被告Yの自宅近くにある杉並区上井草のマンションを賃借し、居住

  するようになった。

 

  亡花子は、40歳ころから、甲状腺機能亢進症を、50歳ころから糖尿病を患っていた。

 

 

 

イ 原告X1及び原告X2について

 

 

  原告X1及び原告X2は、亡花子の離婚後、父Gに引きとられて育った。亡花子の離婚後10数年が経過し

  てから、原告X1らは、年に数回、亡花子と会って一緒に食事などをするようになったが、同居して生活

  するということはなかった。亡花子の実子は、原告X1及び原告X2のみである。

 

 

 

ウ 被告Yについて

 

 

  亡花子には、前記のとおり、母の異なる弟妹が5人おり、被告Yは異母妹のうちの1人である。被告Y

  は、東京都杉並区上井草の自宅に居住していた。

 

 

エ 原告X3について

 

 

  原告X3は、第二東京弁護士会に登録していた弁護士であるが、平成2年ころ、助産婦会会長を務めてい

  た亡花子から法律上の相談を受け、これを解決したことから、以後亡花子の信頼を得るようになった。

  その後、原告X3は、徳島弁護士会に登録換をし、徳島県に居住していたが、平成10年ころ、亡花子か

  ら公正証書遺言作成の依頼を受け、本件公正証書遺言において遺言執行者となることを指定された。