歴史の終焉と複式簿記の終焉(2)

 

 1998年、11の加盟国がインフレーション率、政府財政水準、為替相場の状況、長期金利などの収斂基準を満たし、1999年1月1日にユーロの導入が正式に開始されて、ユーロ圏が誕生しました。

 2000年にはギリシャが基準を満たし、2001年1月1日にユーロに移行しました。2002年1月1日より実際の硬貨や紙幣の発行・流通が開始されました。

 2006年にはスロベニアが基準を満たして、2007年1月1日よりユーロ圏入りを果たしました。さらに2008年1月1日にはキプロスとマルタで、2009年1月1日にはスロバキアで、2011年1月1日にはエストニアでもユーロが導入されました。

 

 これによりユーロ圏は計17か国、人口3億2600万人を擁する経済圏となっています。欧州連合はそのすべての加盟国の領域にまたがる単一の市場を運営し、ユーロ圏諸国において単一の通貨を使用しています。

 

 異質なものの対立と依存からなる複合体がヨーロッパの基本構造で、その多様性が「経済」を生みだし、多様性が「国家」を生み出すのです。これらを共通の貨幣でくくって普遍的な共同体を構成すること自体にはやはり問題があります。それを知っているのか、イギリスはユーロを導入していません。

 

 

 

 文明とは、文化の歴史的過程の終焉である。たとえ非常に知的な技術的形態、あるいは政治的形態が存在しているとしても、すでに生命はつき、未来に向けて新しい表現 形態を生み出す可能性はまったくない。

 

 文明の象徴は世界都市であり、それは自由な知性の容器である。それは母なる大地から完全に離反し、あらゆる伝統的文化形態から解放されたもっとも人工的な場所であり、実用と経済的目的だけのために数学的に設計された巨像である。ここに流通する貨幣は、現実的なものにいっさい制約されることのない形式的・抽象的・知的な力であり、どのような形であれ文明を支配する。

 

 ここに群集する人間は、故郷をもたない頭 脳的流 浪民、すなわち文明人であり、高層の賃貸長屋のなかでみじめに眠る。彼らは日常的労働の知的緊張をスポーツ、快楽、賭博という別の緊張によって解消する。

このように大地を離れ極度に強化された知的生活からは不妊の現象が生じる。人口の減少が数 百年にわたって続き、世界都市は廃墟となる。

 

 知性は空洞化した民主主義とともに破壊され、無制限の戦争をともなって文明は崩壊する。経済が思想を

支配した末、 西洋文明は21世紀で滅びるのである。

 

 Oswald Arnold Gottfried Spengler、ドイツの文化哲学者、歴史学者が1918年“Der Untergang des Abendlandes”邦題『西洋の没落』で記しました。

 

 西洋文明はシュペングラーにとってかけがえのない文明でした。西洋文明は「文化」と「文明」、「田舎」と「都市」の間の弁証法的対立と融和による普遍的なものの創造でした。そのため、西洋文明の没落は、歴史の終焉であり、人類史の大きな危機であると認識したのです。

 

 西洋の目的は、自由で平等な人々による平等な諸国民が構成する「普遍的社会」を生み出すことでした。「普遍的社会」へいたる歴史的な目的を見失うと、文明は没落し、歴史が終焉するのです。

 私の恩師は没落の原因を道徳的・人格的な「価値」を問題とする「哲学」の不在に見ています。「文化」は本来人間精神の洗練や人格的な向上を意味し、Cultureとは時間をかけて洗練させる、Cult(耕された)+ure(状態)ということなのですが、合理的な推論と事実のみにかかわる「科学」が制覇する現代社会では道徳的・人格的な「価値」を見失わせ、それがヨーロッパの歴史史的危機を産み出しているともいえます。

 

 

 

 

 国境を超える貨幣の表象する価値に基づき、現金および現金同等物が生み出される可能性およびその生成のタイミングと確実性に関する情報がIFRSの目指す財務報告であり、われわれが税理士試験で何度も問われる会計学と全く違う思考に基づいています。

 したたかなイギリス人ないしはIFRSの設定主体であるIASBのイメージする財務報告は企業会計が有する「価値」を破壊してしまうのでしょうか?筆者はそうは考えていません。我々の唯一の救いは、財務報告基準にしろ財務会計基準にしろ開示情報が現在または過去の実績数値であり、将来を確実に予言する能力を我々がもっていないということです。